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品性の欠片もない

自分の説明は自分にだけすればよいです

文脈は無視できない

抜書

 たしか読書猿さんのブログと思うんですけど、いいなと思った文章とか気になったフレーズとかを抜書きして読み返すのがいい、という話を小耳に挟んだのでここでやってみようと思います。evernoteもごりごり使ってるんですけど人に見られることを意識することも必要だと思ったのでこっちでもやろうと思います。

 

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「汝隣人を愛せよ」レベルに格言化してるならともかく、言葉を何かの書物から引くなら、文脈は無視しちゃいけないと思うな。で、教育勅語は短いから割りと全体が文脈のうちに入っちゃうわけで

2017/03/20 07:19

b.hatena.ne.jp

 

 引用に関するブコメの引用です。メタです。この場合ブコメは元記事という文脈にのっとって書かれているのでこのブコメについて何か書くならば元記事の内容もちゃんと理解しているべきです。というかそういうかんじのことを書いてるブコメです。しかしこのブコメはわりと一般化された内容のことをゆってるので別に省略しても大丈夫な気がするので省略します。だって書くのめんどくさいもん……。

 引用するにあたって文脈は無視できない。大事なことですね。文脈を無視した引用というのはその言葉を自分の都合のいいように恣意的に解釈し権威付けしつつ提示するというえらい醜悪な行為ですのでよくないです。うんこみたいな自己啓発本とかでよく見るアレです。気をつけていきたいと思います。

一日があっという間に終わる

日記 断片

 休みが終わってしまいます。ちなみに土曜日は仕事だったので3連休ではありませんでした。つらい。しかもこの2日間はほとんど寝てたので何もできてないです。仕事以外全部寝てるみたいになってます。つらい。

 一日があっという間に終わってしまうという感覚があります。これは休日だけでなく仕事の日もです。いえ仕事してる間はつらいし時間すすまねえぞと呪っているんですけど終わってみればあっという間に時間が過ぎてしまったという感じがします。一日があっという間に終わるということは休日があっという間に終わってしまうという悲しさと仕事があっという間に終わってくれるという嬉しさをどちらももたらしてくれます。トレードオフです。と思いましたが仕事している間はあっという間に終わるという感じがしないのでやっぱトレードオフではありません。仕事しんでください。

 こんな感じで気づいたらおっさんになってじいさんになってそんで気づいたら死んでいるのかもしれません。あるいはおっさんになる前に死んでるかもしれません。そうそう、あっという間に過ぎると言えば、大学もあっという間に過ぎてしまったし、高校以前の時代もあっという間に過ぎてしまいました。なにもかもあっという間に過ぎてしまいます。断絶しています。今僕は幼稚園から高校を卒業するまで過ごしていた部屋にいるのですが、当時の自分と今の自分が連続しているという事実にピンと来ていません。過去の自分と今の自分が断絶しています。あまりにもあっという間に過ぎてしまったので、過去の自分が存在していたことが理解できていません。ああだめです、この感覚をうまく文章にすることができません。というか言語化するのがえらいだるくてだめです。でも一度言語化しようと試みたので一歩前進です。あとは脳が暇なときにぼんやりとこの感覚を言語化しようと考えることができるからです。一度やろうとしたということが大事です。今はそれでよいのです。たぶん。そう自分に言い聞かせておいて、めんどくさがり屋な自分への言い訳にして、何もできないままに老いていって、それでもなお今はこれでもいいのだと言い聞かせながら死んでいきます。ぼくはアホなのでそれでも幸せでいられるかもしれません。アホでよかったです。いやでもさすがにおっさんになったら後悔するだろうけどなー。

模様替えノスタルジア

日記

 今日の夕ごはんはコンビニ弁当でした。車で10分ほどの場所にあるコンビニで買ってきました。すごい田舎なので近くにコンビニがないのです。というか実家の半径1km以内に民家がないです。古墳ならあります。えー。両親は用事でいないので僕の分と祖父母の分を買ってきました。僕はのり弁、祖父母には幕の内弁当を買ってきました。本当は最寄りのスーパーにでも行って適当な料理で糊口をしのぐつもりだったのですが、昨日に引き続いて今日もお昼寝をぶちかまし、夕ごはんを準備する時間が取れなかったのでやむを得ずの処置でした。あと洗い物がめんどくさかったというのもある。でも結果的には諸事情によりコンビニ弁当でもわりと洗い物が出たりしてしまったので、洗い物で楽をするという目的は果たせませんでした。

 ところで実家は兼業農家でして、祖父母も何十年と米を作っているのですが、幕の内弁当のご飯を食べた祖母は「うちのコメより美味い」と言っていました。これを聞いて僕は少しショックを受けました。コンビニ弁当のご飯の方が、兼業とはいえ自分ちで作った米より美味いというのです。なんということだろう。経済は、資本主義はつよいなあと思いました。それらは人間の欲望と組織力によって個人を駆逐していきます。それはよいことのはずです。個人が手間暇かけて作るよりも、良いものが手間なく安価に手に入れられるようになるわけですから。でも僕はある種の寂しさを感じてしまいました。祖父母がささやかながらも築いてきたものが貶められたような気がしたのです。

 こういう気分には既に名前がつけられています。感傷とか郷愁とかいうやつです。ぼくはそんな気分になることがわりと多いです。ちょっと部屋の模様替をすると、以前の部屋のレイアウトが思い出されて切なくなったりします。文章にするとかなりアホっぽいです。模様替えに郷愁を覚えるって相当アレです。でも本当にそう感じてしまっているので書くしかありません。

ニート時代が思い出せない

日記 断片

 休日になると寝まくります。昨日はほぼ一日中寝まくりました。いえ、一日中というほどでもないですか。土21:00に寝て日4:30に起き、6:30に再び寝て9:30に起き、14:00に寝て17:30に起き、月2:00に寝て8:30に起き今に至る、という感じです。土曜~日曜の睡眠時間+日曜の間眠時間の合計は14時間。めっちゃ寝てます。すごい。よく寝ました。寝る子は育ちます。ちんちんもすくすくと育ってくれることでしょう。すばらしいことです。

 そういえば大学を卒業してから1年が経とうとしています。早いものです。ちなみに僕は5ヶ月既卒ニートをしていたのですが、就職してからは半年以上経っていることになります。いつの間にかニート期間よりも就労期間の方が長くなっています。これは驚きです。本当にあっという間でした。もうふらふらニートをしていたときの感覚が思い出せません。これは僕にとって好ましいことではありません。勤労を是とする社会に籠絡されようとしています。早くニートになって好きなだけ寝転がっていられる生活を実現せねばなりません。でないと気づいたら自分がかつてしたいと願ったことに挑戦できる年齢ではなくなっていたという悲しい事態になりかねません。

 違和感は大切にしたほうがよいです。後々問題になることの前には大なり小なりの違和感を抱いている場合は多いからです。少しでも何かおかしくね? と思ったら自分と周囲をよく観察した方がよいです。集団内部の価値観に毒されてはなりません。籠絡されてはなりません。それは罠です。

地域の図書館のあれこれ

断片

 地元の図書館のニュースを見かけました。なんか寄贈本一万冊以上を何年も放置してたらしいです。前々からうちの市はゴミであるという話は聞いていたのですが初めてそのクソさがぼくにとってわかりやすい形で現れました。

 

 公立図書館はその地域の知の集積場です。市民が知へアクセスするための図書館です。その地域に住む誰もが知にアクセスするための大切な場所です。あと郷土史も重要です。それは自身のルーツを知るための手がかりの一つになるからです。地域の図書館なんて大都市やまともな大学のそれに比べたら本当にささやかなものなんであって、それでも地域に図書館を置くことに意味があるとしたら、それはこのへんだろうなあと思っています。

 まあでも実際問題として地域の図書館の利用者なんてほとんどいないわけです。少ないんです。誰もこないんですよ。誰もこないと運営する気もなくなってきます。いやまあ維持するのがめちゃ大変だからこそ税金を投入して生き長らえさせるわけではあるんですが、それでも税金を使う以上はより多く利用されるようになるべきです。そうしないと税金がもったいないです。

 しかし現実がそうだからと言って腐ってはだめです。地域毎に図書館があるというのは人類の理想です。その人がどのような環境に置かれていても、知への可能性は絶対的に開かれているというわけです。これはとてつもない奇跡です。

クソ上司のクソさを発揮させるクソ新人(それがわたし)

日記

 書くべきことはいろいろあるのですがめんどくさいので書きません。100均で買ったクッキーうめえ。たった100円でこんなすばらしいものが買えるなんてなんて恵まれているんだろう。お金プア時間リッチが最適戦略です。

 

 本日は一瞬だけめちゃくちゃしんどかったんですけど全体としてはわりといいテンションで仕事ができました。いつもこのテンションで仕事ができたら楽なんですけどね。よいテンションを保つためにはある程度の負荷が必要であるようです。あくまでぼくはという話ですが。

 しかしミスが極端に多いです。物忘れもめちゃくちゃ多いです。上司に何度も注意されます。うちの上司は先腐れは少ないですが後腐れがめちゃくちゃ多いです。つまり注意は理性的に淡々とされますが後で陰口をめたくそ叩かれます。あまり隠そうとも思っていないようで、本人が隣にいてもこそこそ陰口叩いたりするような人です。サイコパスかなんかなのでしょうか。しかしぼくは基本的にアホなんであって直接怒鳴られる殴られるなどの極めてわかりやすい悪意でないと感じ取れない人なので少なくとも自分が悪く言われる点についてはわりと平気ではあります。

 まあ上手く回っているときはいい人ではあるのです。昨日は子どもの卒業式で有給とってましたが(まあもともと特に理由もなく休みまくる人ではあるのですが)、それが関係あるのかどうかわかりませんが、なんか今日は丸かった気がします。いつもこんなんだったらいいんですけどね。いやそれだと辞めにくくなるのでやっぱクソ上司のままで居てください。

 

 ぼくの上司が真にクソ上司であると僕は断定することができません。僕には上司がクソな振る舞いをすると安心してしまっている部分があるかもしれません。「ああやはりこの人はクソなのだ」と安心して罵ることができるからです。いい振る舞いをされると困るのです。ここに認知が歪んでいる可能性、あるいは自らクソな振る舞いを誘発させているが示唆されます。

文章の落書き

日記 雑記

 

 タブレットを買いました。安物ですが十分動いてくれます。ルーターとの相性が悪いようでネットはあんまりできないのが玉に瑕ですがそれでも楽しんでいます。あと筆圧感知もしてくれるようで、そこそこお絵かきもできます。firealpacaが上手く使えたらいいなーと思っていたんですけどタブレットにはあんまり対応できていないようですのでお絵かきはもっぱらスケッチパッドでしています。レイヤー機能さえあればなあ……と、ここまでは前フリです。

 

 お絵かきをしていてふと思ったのですが、このブログは落書きなのだと思いました。あるいは下書き。あるいはアタリ。ちゃんとした文章を書くのはしんどいのでほとんど自動筆記でだだだっと勢いに任せて書いているのですけれども、その文章の精度とか適当具合が、タブレットで落書きしているときの線や絵のクオリティに似ているなあという、ものすごく漠然としていて曖昧な印象をいだきました。ここのブログに書いている文章はえらい適当で、線がぐにゃぐにゃでぶれていて、アタリとかは書いてないいきなり書きで、そのために全体的に歪んでいて……という感じで、お絵かきにおける落書きっぽい文章になっています。ガチって書いた文章と比較してみるとよくわかります。この文章は落書きです。

 落書きで誠実に自分の心象を言語化できているのかというと微妙です。どういうことかというと、それは自分に誠実であろうとすることに反するのではないか、という話なんですが、このブログは自分の心象のアタリを書いているのだと考えれば、まあ許せるかなあ、と思っています。本当にきっちり自分の心象をデッサンするのはしんどすぎて続かないです。続けられないのではだめです。完璧ではなくても、だいたいの精度で、あんまりにも外しすぎることはせず、全体として自分の心象を書き留められることができれば、今の段階では及第点かなあと思います。元々言語化がものすごく苦手だったので、このブログはとりあえず言語化をしてみようという目的で始めたということもありまして、この考え方と実践は目的に合致しています。思考のセーブポイントです。

 書かなければ、自分が何を考えていたのか忘れてしまう、という事情もあります。忘れてしまって、一定期間ごとに、同じことを何度も考えているということがあります。一度通った道を引き返して、何度も同じ地面を踏みしめている、という感じです。それもまったくの無意味ではないのですが、そればかりを繰り返していると、先に進むことができません。堂々巡りのままではだめなのです。メモ書き程度でもいいので、とりあえず言語化して残しておくというのは、考えるという営為を行う上でとても有効ですし大切です。だからこのブログは、少なくとも今の時点では、落書きでもいいです。もっと言語化がスムーズにできるようになって、文章を書くことにもこなれてくれば、よりよい精度で自分の心象をデッサンできるようになるんじゃないかなあと安易に思っています。もちろんちゃんとした訓練も並行して続けていく必要はあるでしょうが。つまりぼくが言うところの「がちった文章」を書く、ということです。はあ。

 

 あと、ちょっと前のエントリのリフレインみたいになりますが、ぼくが考えることにこだわるのは、ぼくが考えられない人だからです。考えられないために考えるということに憧れているのです。永遠のwannabeです。またこのフレーズでしめるのか。