品性の欠片もない

自分の説明は自分にだけすればよいです

だるすぎて何も書けないので脳内垂れ流しした

 なにもしたくありません。モチベーションがないです。何もない。何もしないをしたい。しかし何もしないはモチベーションがなくてもできます。モチベーションがないとできないことはたくさんあります。もう駄目です。何も考えずに適当にタイピングしているだけです。つらい。なにもできない。愛されたいとかはないんですけどとにかく何かを生み出せたらいいなとおもってるんですけどめんどくさい。適当に手を動かしてたらモチベーションが出て来るんじゃないかと思ってなんかちんちん文章をかいてますけど別になんもモチベーションとか出てこないです。なにもしたくない。なにもできない。だるい。めんどくさい。やりたいことはないけどできるようになりたいことはあります。なんだそれは。

 できるようになりたいことというのは結果です。たとえば絵をかけるようになりたいとかプログラミングをできるようになりたいとかです。やりたいことというのは過程です。絵を描くこと自体、プログラミングすること自体です。過程を楽しむこと、もっと言えば過程を目的にすることができなければつらいだけです。つらいのを我慢して結果を手に入れるというのはある意味で本末転倒です。ルサンチマン入りました。死にたい。

人は一人では生きられない

 人は一人では生きられないというのは、人には一人で生きる能力がないから一人では生きられない、ということではなく、人は生きているというただそれだけのことで不可避的に誰かの役に立ってしまうために一人では生きられない、ということです。能力的にではなく原理的にそうなっています。

自分の感覚を信じられますか

 1年前の今頃、ぼくは青春18きっぷで吉野他に行ったのですが、もうあれから1年が経ってしまいました。なんだか不思議な感覚です。実感がわきません。あっという間だったような気もするし、はるか遠い過去のような気もします。

 しかしどちらにも共通しているのは、断絶している、という感覚です。過去の自分と現在の自分が断絶しています。まるで別の宇宙で起こった出来事なんじゃないかという気がしています。

 1年前のことだけではありません。たとえば昨日ニコニコ動画を見たりブログを書いたりしていたときとも断絶を感じます。今この瞬間のことしかたしかに自分であると実感することができません。いや、今この瞬間の僕でさえもこれが自分であると実感しきることすらできないかもしれません。現在とか自分とかよくわかりません。なんかそういうのをきれいにすぱーんと説明してくれることばを探してしまいます。

 

 そうそう、今日ネットで土地を見つけたんです。わりと山の中の土地で、そこそこ広いです。山林ですね。平ですし車道にも面しています。正面にビニールハウスがあることを除けばけっこういい土地だと思います。しかもぼくのなけなしの貯金でも買えるくらいの価格でした。個人売買ですのでちょっと心配なんですけど話を聞くだけならタダなのでいけるとこまで行ってみたいと思います。

 こういう格安の山林を買って、小屋を建てて、ずっとひきこもって暮らしていたいという気持ちがあります。今はこの気持ちの方がつよいです。今の生活を続けるのがつらいからです。

 逃げたい。こんなことに時間を費やしたくない。精神をすりへらしたくない。なんでこんなことをし続けなくちゃいけないのかわからない。なんで彼らは平気そうな顔をしていられるんだろう。一日の半分を労働に費やすことに理不尽さを覚えないんだろうか。自由はほしくないのか。いや逃げて手に入れられる自由は本当の自由なんだろうか。何もわからない。自分が本当はどう感じているかもわからない。心を見極めようとすればするほど心が逃げていく。感じられるのは漠然とした不安と息苦しさと動悸だけです。自分がどう感じているかすらわからないのに他人のことなんてわかるわけがない。

 

 

自作の小屋で暮らそう: Bライフの愉しみ (ちくま文庫)

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将来どうしようか

 将来ついて迷いがあります。

 人と話すのはあまり得意ではないのでこれからの仕事は向いていないです。それにその仕事で身につけられるスキルに僕は興味がありません。そんなものに自分の若いときの貴重な時間を費やしてしまうのがもったいないと感じます。

 

 さいきんプログラマーになりたいと思うことがよくあります。プログラミングはわりと好きです。何時間もパソコンに向かうことも苦ではないです。仕事を通して身に付けられるスキルは私生活でも大いに役に立ってくれます。しかしプログラミングを仕事にすることに対する不安もあります。業界のブラックさもそうですが、業務で行うお遊びではないプログラミングを楽しめるのかという不信があります。というか私生活でプログラミングをすることがあまりないです。そんな人がプログラマーなんてやっていけるのか。

 またこれから築いていけるはずだったキャリアを捨てることに対する不安もあります。しかし同時にキャリアにしばられることに対する不安もつよいです。出世するとむずかしい仕事をしなくちゃならないので出世したくないです。責任とか負いたくないのです。自由でいたいです。

 

 本当は仕事なんてしたくないです。ずっと寝っ転がってネットしてゲームして本読んで音楽聞いていたいです。好きなときに起きて好きなときに寝たいです。山林を買って小屋を建ててひっそりと暮らしたいです。しかしそのまま人生を終えてしまうことにも恐怖を覚えます。たぶんおっさんになってから後悔するような気がします。

 それに両親のこともあります。親孝行をしたいという気持ちがあります。仕事を続けること、立派になることは親孝行です。なぜか涙が出るくらいつよく親孝行をしたいという気持ちが湧き上がってくることがあります。ぼくがニートであることはぼくにとっては親不孝です。

 

 仕事をせずにふらふらすることは理想の一つです。しかし将来の後悔、親孝行ができないことに対する後悔とおそらく不可分です。仕事をしていればそのような後悔はしないでしょうが、仕事をせずにふらふらするという夢はあきらめなくてはなりません。

 ふらふらしながら仕事をする、あるいはふらふらすること以上に仕事を楽しむことができればよいです。前者はこれからの仕事を続けつつ実現することはむずかしいです。年間休日105日だからです。死ね。後者は前述の理由でむずかしそうです。

 

 一貫した自己がないのが問題をややこしくしています。ある仕事をすること、ある人間と話をすることが楽しいと思えるときと苦しいと感じるときとが混在しています。楽しいか苦しいかどちらか一方のみであれば迷うことはないのです。自分がどう感じるかを自分で決めることはできないのがつらいです。

 

 

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

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期待してくれる人から逃げる人

 期待されると不安になります。ぼくはあなたが思っているほど能力のある人間ではないのです。僕を買ってくださるのは本当に嬉しいのですけど、その分幻滅されるのが怖くなります。本当は僕は大したことのない人間だということが露見してしまうのが怖いです。落差がこわいです。

 かと言って全く期待されることがないというのもつらいです。やっぱりちょっとはぼくのことをすごいと思って欲しいのです。期待されることの心地よさを手放したくはないのです。甘えています。なんと都合のいい。けっきょく自分がいちばんかわいいのです。

 承認がほしいのであれば、期待されているされていないに関わらず努力するべきです。そうでなくても、もし期待してくださる人がいるのならば、その人に対してはすくなくとも誠実であるべきです。見放されることを望むなどもってのほかです。しかしぼくにはそんな当たり前のこともできないのです。

 

 

貴方には何も出来ない

貴方には何も出来ない