品性の欠片もない

自分の説明は自分にだけすればよいです

GWはTOKYOに帰ります

 久しぶりのおやすみですので久しぶりに何か書こうと思います。今まではいろいろあって書けなかったのです。しかし間が空くとよくありませんね。文章がするする出てこないです。

 継続というのは一種のフロー的な資産であるように思います。続けると福利のように増えていきますが止めるとえらい勢いで減ってしまいます。資産といっても単純な技術力のみをさすにとどまりません。続ければ続けるほどいろいろよいことがありますので、そういうの全部ひっくるめて資産と呼びました。言語化しろよ。

 

 しかし今日明日と予定が入っています。完全なOFFというわけでもないのです。ただ久しぶりの休みということもあり気分的にはとても楽です。休みが楽しいです。休みが続きすぎると効用は逓減していくタイプの人ですので、気分的には今がいちばん楽しい時間なのかもしれません。

 さてGWです。しかし弊社は5月1~2日は営業日です。えー。しかし5月第一集は休みですので5連休はあります。わーい! ずっとだらだらしてもよかったのですが、新幹線でTOKYOに帰ろうと思っています。これから新幹線を予約します。予約してきました。くれじっとかーど便利ですね。クレカげっとしたのは大学も終わりのころでしたがもっと早く存在をしっておけばよかったです。ネット決算えらいらくなんですね。あと往復割引すごい。別々に買わなくてよかった。そんなことすらも知らない世間知らずのナイーブなわたしです。

 

 あれです。ぼくは精神的に幼いんだろうという気はしています。自覚は薄いです。おそらく精神的に幼いんだろうという他人事のような認識がそこそこあるくらいな感じです。自覚というものには自分は精神的に幼いのであるという確信と羞恥心が伴うはずです。ぼくにはそれがないので自覚はしていません。それにしても俺定義の言葉を振りかざすことに羞恥心はないんですかねこの人は。まあいいんじゃないかな自分さえわかればいいんだから……。

書くことについて書くのは心が書くということに支配されているから

 今までこのブログはブログ編集画面に直書きしていたのですが、今回はわけあってローカル環境で書いてます。といってもevernoteです。なんかかっこいいエディタとかは使ってないです。vimで日本語のテキスト書くことってあるんですか。
 vimだうんろーどしてきましたがインストールめんどくさいのでやめておきました。なんか普通にideに慣れてた方がいいよねみたいな思考が。あとなぜかevernoteでは気分が乗らないのでオンラインエディタで直書きします。エディタで気分が変わるとか文豪かよ。
 
 さてブログ編集画面で直書きです。なぜかgoogleIMEでは半角全角が入れ替わらなかったのですが仕様ですか。ためしにMSIMEで日本語入力に切り替えてからgoogleIMEに戻すとなぜか入力できなくなりました。なんだって。ブラウザの関係かもしれません。諸事情あっていまedgeを立ち上げているんですがこれが原因なのでしょうか。edgeやばい。あと微妙にタイプしてから文字が表示されるタイミングが遅い。つらい。
 
 それにしてもなんか気分が乗りません。今まではなんかぴーんとひらめいたときにそれを書き留めておくために書いていました。今はとりあえず書き始めてみただけです。とりあえずやりはじめてみればやる気が出てくるとかいう例の言説ってあれ本当なんでしょうか。経験上あまり信じれないのですが。だってめんどくさいものはどうしたってめんどくさいですよ。
 
 今日は上司と1時間ほどお話してきました。詳細は触れませんがお話し結果おそらく上司はよい人であるように思われました。他人をこきおろすようなところがなければ素直に尊敬できるのにと思いました。その振れ幅に戸惑っている部分があります。 
 仕事はしんどいはずでして、そのつらさをなんとかするために病院に通うわけですが、仕事を離れるとつらさはある程度軽減されまして、すると仕事をしているときのつらさを正確に伝えることはできないわけです。まさか仕事中につらいつらいとメモを書くわけにもいきますまい。またこのために医者先生に直接説明するときにも困ってしまいます。仕事中のえらいつらさを正確に説明できないからです。時間も限られているわけですから、何を話すかきちんと考えていったほうがよいです。
 
 そういった自分の感覚などを書き留めるためにこのブログをしているはずなんですが、つらいことは書きづらいのでけっきょくできてないっぽいです。感じたことを感じたままに書くというのは比較的、そこそこ、まあまあできているように思えますが、ここで、それでは片手落ちではないかという疑いが持ち上がってきました。つまり今までは、感じたことのうち、書きやすい、筆ののりやすいことのみを書いていたという可能性がありまして、まあそれでも文章を書く練習というかリハビリにはなるので悪いわけではないんですけれども、もっと上を目指すならば、自分の感じたこと「すべて」を書かなくてはならないのではないか、ということです。
 書いといてあれですがうへええーという感じです。そんなめんどくさいことしたくない。書きたいことだけ書いてればいいじゃん……。しかしノンストップライティング法などでも言われておりますように、ひたすら書き続けて、「あっ、これは自分のなかのやばい部分だ」と直感するようなところにぶち当たって、んでそこを言語化することができれば、大いなる進化をとげることができるのではないかという気もしています。でもやっぱりつらいのでしたくないです。とりあえず今は書きやすい部分をがっと書くだけでも十分経験値は稼げてそうな気もしますし。ちょっとずつでいいじゃないですか。聞くなよ。

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初出掲載:2017年4月8日

同じ人間とは言っても遺伝子はほんの少し違ってるはずなんだけど

 俗にチンパンジーと人間の遺伝子との差は1%くらいと言われます。ところで同じ人間同士でも遺伝子は異なっているはずです。その差はチンパンジーとのそれに比べれば非常に小さいのでしょうが、確実に遺伝子の差は存在するわけです。遺伝子がどれくらい異なれば同じヒトという種族として認定され、どれくらい異なればヒトという種族として認定されないのか、みたいなことを考えます。いやちょっと違いますね。同じ人間とは言いますが、遺伝子が異なる以上はまったく同じ生き物であるとは言えないわけで、じゃあどこからが人間でどこからが人間じゃないかという線引はどうやってするんだろう、という疑問があります。うーん、これもなんか違う。上手く言えない。だめだ。これだとちょっと違う意味になってしまいます。同種族における個体間の遺伝子の差についての疑問なんですけど。またまとまったら書くかもしれません。忘れてたら書きません。思いつかないことを書くことはふつうできないです。

脆弱なプライドを隠すためにアホの皮を被っていると自覚していることを自覚した

 ぼくのツイッターはアホですしこのブログもアホなんですけど、今ざっとツイッターを見返してみて、こいつめちゃくちゃプライドたけえなあと思いました。アホなツイートしかしてないはずなんですけど、そこはかとなく俺ほんとうはすげえから感が漂ってきています。

 この感覚はもしかするとツイートのみから得られたものではないかもしれません。僕自身が脆弱なプライドを持つことは恥ずかしいと思っており、それを隠すためにアホなツイートをしているだけであるという自覚があって、それに基づいてアホなツイートをしたという記憶というか後ろめたさがあるゆえに、ツイートを見返したときにそれらが蘇ってきてウッとなっているのではないか、ということです。

 ものすごく適当に書きなぐったので常人では何を言っているのかわからないはずです。ぼくもわかりません。だめだろ。とにかくぼくの心性のあり方としてこのような欺瞞があるということは間違いありません。そのような欺瞞がない人は僕からは聖人のように見えます。

 と、このように自分の欺瞞を自覚していると書くことで、欺瞞をしていることに対する免罪符を得ようとしている可能性があります。心の底から自身の欺瞞をなくしたいと願っているかは疑問なわけです。ぼくの心を観察してみると、欺瞞のうしろめたさより、欺瞞によってもたらされる安楽が勝っているような気がします。心根が腐っています。もうだめです。

 

お酒の飲み方がわからない 

 スーパーでやすくてつよいお酒を買ってジュースで割って飲んでいます。ぐぐればおいしい飲み方とか出てくるんですけどめんどくさいのですごい適当に飲んでいます。お酒を飲むと目が充血してきます。目が熱くなって、水分量が増えている感じがします。

 お酒をおいしいと思ったことはないです。あるとしたらチューハイとかスミノフですが、あれらはお酒がおいしいというよりはジュースがおいしいという意味でのおいしいです。お酒のよさとかよくわからないです。でもお酒を飲みながらおしゃべりするのが楽しいというのはなんとなくわかります。たぶん飲み会が好きな人はお酒を飲みながらおしゃべりするのが好きなんだと思います。ただの推測です。

 飲み会は社会人同士が友達感覚で集まるための時間なのだと思いました。仕事だけの関係よりは、友達に近い間柄を構築しつつ仕事をする方が業務が円滑に行くでしょうし、その意味で飲み会は仕事をする上で重要な役割を担っているのかもしれません。しかしこれは本当はよくないことであるはずです。これはなかば業務外業務になっています。仕事以外で仕事をする人がうまみをもらえるような構造になっており、実質的にダンピングというか脱法的、抜け駆けです。ああだめです、なんでこれが悪いことなのかうまく説明できません。まあそれは捨て置いても飲み会に頼らなければ仕事がうまくできないなんて甘えています。業務フローの改善などあくまで仕事の範疇でうまくいくように工夫すべきところを、確信犯的に公私を曖昧にすることで乗り切ろうとしているからです。本当の甘えとはこのような、易きに流れる心性のあり方を言うのです。

 

 

ずっと寝ている(たまに文章を書く)

半分の月がのぼる空』というらのべを読みました。ぶっくおふで適当に見繕ったものです。なんかけっこう人気だったらしいです。2003年刊行となっていますがたしかにその辺の時代っぽい雰囲気を感じます。イリヤもそうでしたがあのへんのラノベはバイク大好きなんですかね。

 こういう話をぼくも書いてみたいです。こんなだめだめで適当なブログを書いておいてあれですけどよい文章を書くことについてはじしんがあるのです。量を書く自信はありません。だめだろ。別に仕事をしながらでもらのべを書くことはできるんですけど仕事で体力気力時間などのリソースを使い果たしてしまうのでむずかしいです。しかし時間なんていくらでもあったニート時代でさえらのべを書いたりはしなかったのでどっちにしても書けないっぽいです。昔はわりあいぽんぽん書けてたんですけどどんどん書けなくなってきました。つらい。

 文章を書くことに快感がほしいです。キーボードを叩いているだけで楽しいと感じられるような状態になりたいです。文章を書くこと自体が楽しいという状態です。それが今のぼくの二番目の願いです。いちばんは一生一人で寝ていられる環境を構築することです。ずっと寝ていたい。そんで気が向いたら文章書いたりする。なんて素敵な生活でしょう。