品性の欠片もない

自分の説明は自分にだけすればよいです

将来どうしようか

 将来ついて迷いがあります。

 人と話すのはあまり得意ではないのでこれからの仕事は向いていないです。それにその仕事で身につけられるスキルに僕は興味がありません。そんなものに自分の若いときの貴重な時間を費やしてしまうのがもったいないと感じます。

 

 さいきんプログラマーになりたいと思うことがよくあります。プログラミングはわりと好きです。何時間もパソコンに向かうことも苦ではないです。仕事を通して身に付けられるスキルは私生活でも大いに役に立ってくれます。しかしプログラミングを仕事にすることに対する不安もあります。業界のブラックさもそうですが、業務で行うお遊びではないプログラミングを楽しめるのかという不信があります。というか私生活でプログラミングをすることがあまりないです。そんな人がプログラマーなんてやっていけるのか。

 またこれから築いていけるはずだったキャリアを捨てることに対する不安もあります。しかし同時にキャリアにしばられることに対する不安もつよいです。出世するとむずかしい仕事をしなくちゃならないので出世したくないです。責任とか負いたくないのです。自由でいたいです。

 

 本当は仕事なんてしたくないです。ずっと寝っ転がってネットしてゲームして本読んで音楽聞いていたいです。好きなときに起きて好きなときに寝たいです。山林を買って小屋を建ててひっそりと暮らしたいです。しかしそのまま人生を終えてしまうことにも恐怖を覚えます。たぶんおっさんになってから後悔するような気がします。

 それに両親のこともあります。親孝行をしたいという気持ちがあります。仕事を続けること、立派になることは親孝行です。なぜか涙が出るくらいつよく親孝行をしたいという気持ちが湧き上がってくることがあります。ぼくがニートであることはぼくにとっては親不孝です。

 

 仕事をせずにふらふらすることは理想の一つです。しかし将来の後悔、親孝行ができないことに対する後悔とおそらく不可分です。仕事をしていればそのような後悔はしないでしょうが、仕事をせずにふらふらするという夢はあきらめなくてはなりません。

 ふらふらしながら仕事をする、あるいはふらふらすること以上に仕事を楽しむことができればよいです。前者はこれからの仕事を続けつつ実現することはむずかしいです。年間休日105日だからです。死ね。後者は前述の理由でむずかしそうです。

 

 一貫した自己がないのが問題をややこしくしています。ある仕事をすること、ある人間と話をすることが楽しいと思えるときと苦しいと感じるときとが混在しています。楽しいか苦しいかどちらか一方のみであれば迷うことはないのです。自分がどう感じるかを自分で決めることはできないのがつらいです。

 

 

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

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