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品性の欠片もない

自分の説明は自分にだけすればよいです

上司の愚痴です

雑記

 嫌な人の嫌な記憶というのは無色透明だったはずの現在を侵食します。嫌ではないはずだった現在が嫌な現在になってしまうのです。だから嫌な人のことは早く忘れた方が得です。しかし嫌な記憶を忘れることは難しいです。それは強く心に残るからです。嫌な人から嫌な言動を受けることそれ自体はよい、しかしその後長期に渡って僕を苦しめ続ける記憶を植え付けられることは我慢なりません。

 

 まあ嫌な人というのは上司のことなんですが。本当に腹立たしいのです。もちろんぼくはうんこ人間ですし人生6割くらい投げている扱いに困る人間ですしあほですしばかではありますがそれでもせめて、いやだからこそ、新人として働いている間くらいは、素直に言うことを聞いてがんばろうという気持ちがあるのです。にもかかわらずぼくが上司氏に対して「うるせえ死ね」という態度をとるのは、上司氏がとても尊敬に値するような人物ではないからです。上司氏は間違っており、その上司氏に迎合することは誠実さを殺すことであり、それは僕がしてはならないことだからです。

 なぜ常に愚痴を言っているのか。なぜ電話が鳴るとこれ見よがしにため息をつくのか。なぜはばかることなく「めんどくせー」と叫ぶのか。なぜ少し仕事が立て込むと相談に来た人を追い返すのか。なぜ仕事を部下に押し付け自分はさっさと帰るのか。気分が良いときは陰口でコミュニケーションを取ろうとするのか。会社はどうしてこんな人をのさばらせている。ふざけるな。

 うちの会社では朝礼で社訓などを読まされたりする。あほらしいけどまあそれはいい。仕事の大部分は茶番なので仕事をする上で茶番を演じられるということは大切なことです。それらの内の一つに、相談したら中間報告をしよう、という内容の文章がある。ぼくがミスをしたとき、上司氏はこのことを引き合いに出す。つまり「なぜ中間報告をしなかったのか。毎朝『中間報告をしよう』と言っているじゃないか。あれはただのお題目じゃないんだぞ」ということである。たしかにこれだけを切り取れば正論です。しかし同時に、「相手が忙しそうでも報連相しよう」という内容のものもある。朝読む文章を引き合いに出すのならば、あなたの方こそ、忙しいということを理由にして「後にして」「今話しかけないで」と無下に断ってはいけない。それは自分の都合のよい部分だけを切り取って、自分に都合のよい結論を恣意的に導いていることになるからだ。それは論理にすらなっていない。なぜなら、あなたの論理は、朝読む文章通りに仕事をしなくてはならない、という、あなたが掲げた公理に反しているからだ。矛盾している。破綻した論理に基づく主張は少なくとも命題ではない。

 

 論理的思考というのは関数です。値と条件をつっこむと、ある一定の手続きに従って、結論が出てきます。それはあくまで決まった手続きでなくてはならず、またその手続きに従えば、同一条件下では必ず同一の結果が出てこねばなりません。それが論理の定義だからです。

 ところでここで一つ問題が浮上します。すなわち、論理的に考えるということは、単なる手続きにしたがって結論を導いているだけであって、本当に「考えている」と言えるのか、ということです。

 まあそもそも「考える」ということがどういうことなのかよくわかってないのでぼくもよくわからないんですけれども、とりあえず出した一つの解はあります。それは、自分が採用した値と公理は公平であるのかを疑うべきである、ということです。値とは認識によって得られる世界のあり方です。公理とは「世界はこのようにできている」という自身の世界観です。人間である以上、世界を本当に客観視することはできません。ですので、考える上で本当の値、本当の公理を採用することは不可能です。それができる存在のことは神っていうと思います。人間は神ではないので、できることと言えば、自分が思考する上で採用した値と公理を可能な限り「公平に」選択することができたかを自問することくらいなんです。それが誠実であるということです。自分の慣れ親しんだ思考に流されず、「自分は本当に正しいのか」と疑い続けることが、考える、ということなのではないでしょうか。それをせずに、自分にとって慣れ親しんだ値と公理に基いて行う思考というのは、ほとんど頭を使わずにできまして、自分が行う作業としてはほとんど論理的な手続きしかないんです。それは少なくとも僕にとっては「考えている」とは言えません。

 とまあこういう感じです。論理とは手続きなのでここを変更することは許されませんので、だったら論理的思考に突入する前段階、値と公理を決定する段階にメスを入れる他ないよね、というところから決め打ちしました。そんでぼくがこれをできているのかというと、あまりできていません。だってめんどくさいです、自分を常に疑い続けるなんて……でもできるだけ誠実でありたいとは思っています。少なくとも自分の個人的な世界認識に基いて他人を断罪するような行為はあまりしないようにしています。さっきやったけどな!!!!!

 いちおう理由はあるのです。それは、このブログは、自分が何を考えているのか、世界をどのように認識しているのかを知るために続けている、というところにあります。ぼくは考えたことをすぐに忘れてしまいます。それどころか、自分がどのように感じながら生きているのかすらよくわからないのです。自分がどのように世界を認識しているのかがわからないのです。そんな状態ではまともに「考える」ことなど不可能です。論理という関数に突っ込む値が存在しないからです。自分がどのような公理を採用しているのかわからないからです。これらを克服するための一つの方策として言語化という手段を取っているのです。先に書きなぐったのは、自分が仕事や上司に対してどのように感じているのかを明確にする行為であり、それはぼくがまともに考えるために必要なことです。僕に責められる部分があるとすれば、それを他人の目に触れられる状態にした、というところです。それは陰口だからです。「あいつは陰口を言う」という陰口をたたいているわけです。ブーメランとは僕にとっては許しがたいことの一つではあるのですが、上司氏は本当に腹立たしいですし、このまま溜め込んでいると頭がどうにかなってしまいそうなので、アップします。というか本人が隣にいる状態で悪口を言う上司ってどうなんですか。思いっきり聞こえてるんですけど。上司としては当然、人間としてのあり方がもう間違っているような気がするんですけど。ああもう本当に腹が立つ。しかしそんな風に上司の口から自分の悪口が言われてるのを聞くことは、まことに腹立たしいことではありますが、ショックでした。ここをごまかすと今まで書いた文章がすべて嘘になってしまいますので正直に書きます。それは僕が上司氏に対して「うるせえ死ね」という態度を取った以上引き受けなくてはならないことだったのです。ここでショックを受けることは本来許されることではないです。そんなことは「うるせえ死ね」という態度を取った時点で覚悟しておかねばならなかったことです。今更ショックを受けるということはその覚悟が本当にはできていなかったということにほかなりません。たとえそれが人間として褒められたものではない行為に基づくものだったとしても。

 

ロジカルキッズワーク 基礎編 (一生使える論理的思考力が身につく!)

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