品性の欠片もない

自分の説明は自分にだけすればよいです

模様替えノスタルジア

 今日の夕ごはんはコンビニ弁当でした。車で10分ほどの場所にあるコンビニで買ってきました。すごい田舎なので近くにコンビニがないのです。両親は用事でいないので僕の分と祖父母の分を買ってきました。僕はのり弁、祖父母には幕の内弁当を買ってきました。本当は最寄りのスーパーにでも行って適当な料理で糊口をしのぐつもりだったのですが、昨日に引き続いて今日もお昼寝をぶちかまし、夕ごはんを準備する時間が取れなかったのでやむを得ずの処置でした。あと洗い物がめんどくさかったというのもある。でも結果的には諸事情によりコンビニ弁当でもわりと洗い物が出たりしてしまったので、洗い物で楽をするという目的は果たせませんでした。

 ところで実家は兼業農家でして、祖父母も何十年と米を作っているのですが、幕の内弁当のご飯を食べた祖母は「うちのコメより美味い」と言っていました。これを聞いて僕は少しショックを受けました。コンビニ弁当のご飯の方が、兼業とはいえ自分ちで作った米より美味いというのです。なんということだろう。経済は、資本主義はつよいなあと思いました。それらは人間の欲望と組織力によって個人を駆逐していきます。それはよいことのはずです。個人が手間暇かけて作るよりも、良いものが手間なく安価に手に入れられるようになるわけですから。でも僕はある種の寂しさを感じてしまいました。祖父母がささやかながらも築いてきたものが貶められたような気がしたのです。

 こういう気分には既に名前がつけられています。感傷とか郷愁とかいうやつです。ぼくはそんな気分になることがわりと多いです。ちょっと部屋の模様替をすると、以前の部屋のレイアウトが思い出されて切なくなったりします。文章にするとかなりアホっぽいです。模様替えに郷愁を覚えるって相当アレです。でも本当にそう感じてしまっているので書くしかありません。