品性の欠片もない

自分の説明は自分にだけすればよいです

最初から生まれなければ悩むこともなかった

 中島義道は、死にアイデンティティを求める姿勢によって、生々しい生が映し出されているように見えるので、彼は死を通して生の哲学を語っているのだと思います。

 僕自身はというと、生も死もうまく考えられません。

 とりあえず死についてまず思い浮かぶのは、今死ぬのはもったいないということです。まだそこそこ若いので、何らかの向上に対する期待が捨てられません。また、両親への申し訳なさが頭をもたげてくるというのもあります。一方、苦しまず、自分が死ぬということに気づかず死ねるのならそれもいいかもしれない、という気分もあります。僕にとって死ぬことでつらいのは、苦しむことと、可能性への執着が掻き立てられることです。それさえ感じずに済ませられるのなら死も悪くないなあ、ということです。

 しかし僕も結局、死を前にした自分の生について語っています。死なんて体験したことがないのでわからないですし、今の自分は生という状態にあるので、どうしても生の立場から語ってしまいます。とはいえ、死の立場というのが具体的にどういうものかわからないので、やはり語りようがありません。生きながらにして死の風光を味わい、それについて書く、ということはできるんでしょうか。涅槃とかに至れたらできるのかもしれません。

 

生きることも死ぬこともイヤな人のための本

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