品性の欠片もない

自分の説明は自分にだけすればよいです

書くことについて書くのは心が書くということに支配されているから

 今までこのブログはブログ編集画面に直書きしていたのですが、今回はわけあってローカル環境で書いてます。といってもevernoteです。なんかかっこいいエディタとかは使ってないです。vimで日本語のテキスト書くことってあるんですか。
 vimだうんろーどしてきましたがインストールめんどくさいのでやめておきました。なんか普通にideに慣れてた方がいいよねみたいな思考が。あとなぜかevernoteでは気分が乗らないのでオンラインエディタで直書きします。エディタで気分が変わるとか文豪かよ。
 
 さてブログ編集画面で直書きです。なぜかgoogleIMEでは半角全角が入れ替わらなかったのですが仕様ですか。ためしにMSIMEで日本語入力に切り替えてからgoogleIMEに戻すとなぜか入力できなくなりました。なんだって。ブラウザの関係かもしれません。諸事情あっていまedgeを立ち上げているんですがこれが原因なのでしょうか。edgeやばい。あと微妙にタイプしてから文字が表示されるタイミングが遅い。つらい。
 
 それにしてもなんか気分が乗りません。今まではなんかぴーんとひらめいたときにそれを書き留めておくために書いていました。今はとりあえず書き始めてみただけです。とりあえずやりはじめてみればやる気が出てくるとかいう例の言説ってあれ本当なんでしょうか。経験上あまり信じれないのですが。だってめんどくさいものはどうしたってめんどくさいですよ。
 
 今日は上司と1時間ほどお話してきました。詳細は触れませんがお話し結果おそらく上司はよい人であるように思われました。他人をこきおろすようなところがなければ素直に尊敬できるのにと思いました。その振れ幅に戸惑っている部分があります。 
 仕事はしんどいはずでして、そのつらさをなんとかするために病院に通うわけですが、仕事を離れるとつらさはある程度軽減されまして、すると仕事をしているときのつらさを正確に伝えることはできないわけです。まさか仕事中につらいつらいとメモを書くわけにもいきますまい。またこのために医者先生に直接説明するときにも困ってしまいます。仕事中のえらいつらさを正確に説明できないからです。時間も限られているわけですから、何を話すかきちんと考えていったほうがよいです。
 
 そういった自分の感覚などを書き留めるためにこのブログをしているはずなんですが、つらいことは書きづらいのでけっきょくできてないっぽいです。感じたことを感じたままに書くというのは比較的、そこそこ、まあまあできているように思えますが、ここで、それでは片手落ちではないかという疑いが持ち上がってきました。つまり今までは、感じたことのうち、書きやすい、筆ののりやすいことのみを書いていたという可能性がありまして、まあそれでも文章を書く練習というかリハビリにはなるので悪いわけではないんですけれども、もっと上を目指すならば、自分の感じたこと「すべて」を書かなくてはならないのではないか、ということです。
 書いといてあれですがうへええーという感じです。そんなめんどくさいことしたくない。書きたいことだけ書いてればいいじゃん……。しかしノンストップライティング法などでも言われておりますように、ひたすら書き続けて、「あっ、これは自分のなかのやばい部分だ」と直感するようなところにぶち当たって、んでそこを言語化することができれば、大いなる進化をとげることができるのではないかという気もしています。でもやっぱりつらいのでしたくないです。とりあえず今は書きやすい部分をがっと書くだけでも十分経験値は稼げてそうな気もしますし。ちょっとずつでいいじゃないですか。聞くなよ。