脆弱なプライドを隠すためにアホの皮を被っていると自覚していることを自覚した
ぼくのツイッターはアホですしこのブログもアホなんですけど、今ざっとツイッターを見返してみて、こいつめちゃくちゃプライドたけえなあと思いました。アホなツイートしかしてないはずなんですけど、そこはかとなく俺ほんとうはすげえから感が漂ってきています。
この感覚はもしかするとツイートのみから得られたものではないかもしれません。僕自身が脆弱なプライドを持つことは恥ずかしいと思っており、それを隠すためにアホなツイートをしているだけであるという自覚があって、それに基づいてアホなツイートをしたという記憶というか後ろめたさがあるゆえに、ツイートを見返したときにそれらが蘇ってきてウッとなっているのではないか、ということです。
ものすごく適当に書きなぐったので常人では何を言っているのかわからないはずです。ぼくもわかりません。だめだろ。とにかくぼくの心性のあり方としてこのような欺瞞があるということは間違いありません。そのような欺瞞がない人は僕からは聖人のように見えます。
と、このように自分の欺瞞を自覚していると書くことで、欺瞞をしていることに対する免罪符を得ようとしている可能性があります。心の底から自身の欺瞞をなくしたいと願っているかは疑問なわけです。ぼくの心を観察してみると、欺瞞のうしろめたさより、欺瞞によってもたらされる安楽が勝っているような気がします。心根が腐っています。もうだめです。